生きづらく、また発見の日々

隠れオタの日常と、ただの日常をあやしくものぐるほしくなりながら、そこはかとなく書き綴る日記

文化と言語

昨日「矢作・佐倉のちょっとお時間よろしいですか」を聴き逃してしょぼんなうです。


文化と言語というのは切っても切れない関係ですね。

最近、よく思うのは「ミシン踏む」という日本語はいつか消えるんじゃないかと思うんですよね。踏む式ミシンとか、もう見ないしね。同じ感じで、「布団叩く」とか「布団干す」も消えるんじゃないですかね。「レイコップする」になるんじゃないかね。即ち、私はレイコップが欲しいって話です。

昔はミシンを踏んでたとか、布団は干してたとか知らないと理解できないわけです。


アニメ漫画やらやら文化も同じですね。



普段、擬態している私。しかし、もちろん周囲には擬態しようとしていない方々もいらっしゃるわけです。そんな方々の会話をこっそり聞く。

「そういえばこの間、鈴村・諏訪部とかがキャンプ行く…」
「へえー、そんなのあるんだー」
(STA☆MENか…懐かしいな、それみたの中高あたりだったな…)

てな感じで、わりと理解できる。

別のとき。知人(非オタ)との会話。

知人「この間、○○さんたちと居たときさー、アニメとかの話してて全然わかんなかったよー」

私「そっかー。まあ知らないとわかんないよねー。(あちゃー、私は理解できちゃったよ…)」

知人「て・に・を・はとかで、今作品の話してるとか、人の話してるとか理解した。」

私「そうね…助詞動詞大事だね


助詞動詞大事だよ。

しかしそうでもない。甘い。

「○○をきく」

でも、主題歌かキャラソンか声優さんの歌かラジオかわかんないよね!

つま塩をきく」も、もしかしたらつま塩は歌の名前かもしれないしね!(※違います。ラジオの番組名です。)

もしかしたら鈴村健一はキャラ名かもしれないしね!(※違います。声優さんです。)

言葉を理解するには、知識も必要って話です。

ちなみに、私は杉田智和さんが言っていることはまだ理解できていないので、勉強が足らんなと思うわけです。