生きづらく、また発見の日々

隠れオタの日常と、ただの日常をあやしくものぐるほしくなりながら、そこはかとなく書き綴る日記

まだまだ未熟な私

訂正:ラジオ カルチャーショック編ですが、バカリズムさんはオールナイトニッポンGOLDの方でしたね。すみません。


カルチャーショック編とか書きましたけど、わたしの感覚と世の感覚がずれていること自体、全てカルチャーショックってことになるよなーとか思いました。

今日はまたカルチャーにおいてョックを受けたことを書きます。


隠してる隠してるといいつつ、やはり何人かは知っている。隠してるとすぐ最近あったことの感想が言えず、フラストレーションが溜まってくるわけです。普段会えない友達にわざわざ連絡するのもはばかられるのです。そんなわけで、何人かは知っている、、まあバラしたところで相手は違う文化圏に住むため話はできないに変わりない。同じような文化圏にいても、ジャンルでずれて話が合わなかったりするわけだから、違う文化圏なんてあかんに決まっている。と、いうわけで、数年前のわたしにバラすなととめたい。

バラして、あったことをただ話すだけじゃ、全くすっきりしないのです。

むしろ「ハァ?」ということが増える。


以前受けた、意図が掴みかねる質問。


「アニメ、何みたらいい?」


この質問に潜む違和感。違和感を感じるのはわたしだけだろうか。アニメをある程度知っていたり、見ていたりする人はこう質問するのです。

「今、何みてる?」
「今期、何みてる?」
「なんか、おすすめある?」

以前「何みたらいい?」という質問をうけた。

「え…みたいやつみたら…?」

とこたえる他ないのです。だって、「ドラマ、何みたらいい?」って絶対聞かないでしょ?みたいやつみるでしょ?という感覚なわけです。私的には。何をみたら正解なんてないのだよ。流行るかはやらないかは結果論なのだよ。そういう運命なのだよ。(←違う)

そりゃ、原作知ってたり、制作会社やらで、放映前の期待値はある程度かわるし、そうした経験則的なものがないとは言えないけど、けど結果流行るかなんて誰にもわからんと思うのです。流行らなくたって自分的に好きな作品だってあるわけです。だって娯楽だもの。個人の嗜好によるもの。

というより、我々が今までかけてきた時間、お金、経験やらなんやらかんやらの、いいとこだけとってかれるみたいでやだと思ったのです…。(松方弘子が似たようなこと言ってた)

まあ、私はそこまでお金かけてない方だし、まだまだ未熟であると感じていますが、アニメやらを嗜好している者のはしくれとして、思うわけです。



これから生まれるカルチャーの世界で生きる人も耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、成長していくのだらう。