生きづらく、また発見の日々

隠れオタの日常と、ただの日常をあやしくものぐるほしくなりながら、そこはかとなく書き綴る日記

文化と言語2

ご無沙汰です。

 

Twitterで「#昭和語感」というタグが

流行っているらしく

居ても立っても居られず

 

わたしの2014.6.19の日記!!

「ミシン踏む」だよーーー

「布団干す」「布団叩く」は「レイコップする」に

のっとられるんだよーーー

 

と思いつつも皆さんの秀逸なご回答を

拝見している。

 

Twitter楽しくてかれこれ5年くらいやってますが

mixiは秒でおわったなあとか

FBもどんどん人がいなくなり

今はInstagram全盛期かなと

SNSの変遷を思い返すけど

わたしはTwitterはずっと続けてるなあと思って

それはなんでだろうなあと考えたとき

 

遠い昔なのであんま覚えてないけど

mixiはグループとかコミュニティみたいなのが

めちゃくちゃ嫌だった、記憶がある。

入学・入社とか事前知り合いになってて

すでにグループできてる的なのが性に合わなかった。

 

FBは「基本、本名で」とか

出身学校から勤務地からなんやらかんやらと

公人でもないのにオフィシャル感がすごくて

悪いことなんて絶対書けないなあ

というのが堅苦しく、

けどそこでしか繋がってない人もいるので

半期に1回くらい生存報告をするくらいの利用。

けどそうしてるとたまに疎遠だった人から

メッセンジャーきたりするので

ありがたいなとはおもう。

 

Instagramは、見るのはめちゃくちゃ好き。

石田ゆり子さんのネコくんたちに癒され

木村文乃さんのごはんにほっこりし

ムロツヨシに笑う。

ただじゃあ自分の投稿ってなると

そもそもね、写真あんま撮らないんだよ!

ってなるし

あのハッシュタグルールがわからないんだよ…

 

Twitterは、140字という制限くらいで

写真載せたきゃ載せればいいし

鍵つけたければつければいいし

見返して悶え死にそうな過去があってもアカウントの引越し楽々だし

なんなら複数のアカウント持つのも余裕だし

掃き溜めアカウントも別の顔のアカウントも

ピュアホワイトなこともどす黒いことも

思いのまま呟いてる。

 

そうなんだよね、つぶやきなんだよね。

一方通行、だけど少しだけ誰か拾ってくれないかなって期待してる気持ちもある。

人のつぶやきにも、きこえてるんだかきこえてないだかな感じでつぶやき返す。

けど公で発言したことは残るから

みんな見てるから責任持とうね、みたいな。

 

わたしの中だと、割と掲示板に近い感覚ある。

昔、個人HP持ってたときのとか含めて。

 

そんなツールだった気がするんだけどな

と思いつつ

最近のTwitterはきびしいルールが多いらしい。

 

昔、はるかぜちゃんがTwitterを始めたときに

お母さまと決めたルールが話題になってたよね。

糸井重里さんもTwitterルールを書いていたような

気がする。。。

 

まあわたしの本家アカウントは鍵付きなので

うちわで平和にわいわいかな。

 

 

 便利になっていくと同時に、昔のルールは忘れられて、新しいルールが増えて

文化がかわっていくと同時に、言葉は消えて新しい言葉が生まれるのかな。

 

 よく数えたら8年目だった。わお。

 

 

 

お久しぶりです、THE SECOND

お久しぶりです。

 

前回の更新から1年以上経ってしまいました、という出だしを、というか記事を2回連続で投稿するってどうなん?

 

と思いつつそれ以外の始まりないでしょ、そんだけ放置してたんだからという結論に帰結する。

 

記事を見返すと、読んでくれている人がいる前提というか、語りかける口調とかになってたり太文字だったり、「お…おうおうおう」ってなる。

 

2年前の自分とかもはや別人格だからね。

恥ずかしい身内みてる気分になるわ。

 

確かにこのブログはそういう感じで書き出したから、読んでくれる人がいる前提は間違いではない…が…!

 

2年くらい放置していたのは、自身の生活でいろいろとわちゃわちゃあったためなのですが、隠れオタというジョブはまだかわっていないので、また更新を始めようと思う。

 

というか、ネタ探ししてないとどんどんどんどん自分がつまらない人間になっていく気がする。環境の変化って怖い。

 

つまり、リハビリ。

 

 

お久しぶりでございます

お久しぶりでございます。
最後の投稿から1年以上も経ってしまいました。

この1年は割と忙しくしておりましたのと
放っておいたら、スムーズにログイン出来ず

「パスワード忘れたっぺーケロケロ」

となり放置しておりました。

久しぶりに見ると1ヶ月以内にご覧になってくださった方が何人かいらっしゃって、
まあ、ワードとかで引っかかっただけかもだけど、
ありがたいなあと思っておりまする。

言語言葉で表現するという機会をここで
得たいと思います。

言の葉を私の心の種から生やしてみましょう。
歌じゃ無いけどね!!!(※古今和歌集仮名序)


まだギリギリアニオタクだよ!声豚はやめた(と、自分では思ってる)けどね!

としくん(豊永利行氏)、結婚おめでとう!!
「結婚おめでとう」って微妙な言葉だなと
最近考えたことあったけど、
とりあえずおめでとう!!!!

知ってたよ!!!!!!はっはっは←

TVタックルみた

TVタックル拝見いたしました。


お久しぶりです。久しく放置しておりました。


なかなか話題となっているTVタックルのオタク叩き。

「アニメと犯罪、アニメ漫画を規制すべきか」という問題で、私は規制すべきではない派であるのですが、

規制派の犯罪心理の方の「トリガーとしてのアニメ漫画」という部分は、なるほどなるほどという感じでした。

大まかな部分では規制すべきではない派と同様の意見ですが、確かに「トリガー」の部分は問題であると感じました。



私は「え、社会性の有無の問題じゃね?」と思っています。


オタクって趣味で集まるし、探さないと仲間いないから意外とコミュ力あったりするんですよ。
イベントで友だち増やしたりとか。

テレビに出てた一般人の人たちが犯罪を犯しそうかどうかというと、全然そんなことなかったですしね。

親も好きと言っていた方は、親御さんも理解があるし、友人もいらっしゃるし、そんな彼を認めている方がたくさんいらっしゃるわけです。

もしいつか、彼のご両親などが亡くなって、友人との関係が切れてしまい、彼が一人ぼっちになってしまったとき、そして仕事等がなくなって追い込まれてしまったとき、即ち無敵の人になったときが危ないんじゃないでしょうか。そんなときに、アニメや漫画が引き金となってしまうことがあるかもしれませんね。


しかし、その部分を考えて規制するとなると相当難しく複雑であり、全てを規制してしまったとき、人とつながるネタが一つなくなったとき、またそれは新しい一人ぼっちを増やしてしまうことにならないのかな?

実はオタクはやばいキモい危ないという、その人を認めない姿勢が実は一人ぼっちを生み出しているわけで、犯罪に繋がってしまうのではないでしょうか。


じゃあ、オタクが認められるように広めよう!となっても、詳しくないメディアの方が少しずれた宣伝をすると、オタクの方から反感を買うわけです。

オタクの人も、好きにプライド持ってて排他的な部分がありますから。

また広めてしまうと、「オタク」という言葉の意味がどっか行ってしまいますね。こそこそと好き同士で集まってるのが楽しかったのに公のものになってしまうわけですから。



ジャニーズレベルになるのは複雑、しかし認められないのも困る、なんというジレンマ。



ああ、寛容になりたい。




本フェス冊子の使い方

昨日は河童忌。即ち芥川龍之介の命日。


有名な文学忌と言えば河童忌、むしろ河童忌以外知らなかったんですが、調べてみたらたくさんあってたまげました。


やはり、有名になるものというのはインパクトがあるのか、一覧をみて一発で覚えたのは、桜桃忌と憂国忌太宰治三島由紀夫

来週は江戸川乱歩谷崎潤一郎の命日らしい。


この季節になると、各出版社(集英社、新潮社、カドカワ)が本フェスしてます。

中高生に読んで欲しいらしいのですが、中高生って1番本読んでなかったなあと振り返ると思います。


中高は部活、宿題、遊ぶ。全てこれらに凝縮されておりますね。高校生はまた、秋に文化祭があったりすると、その準備に追われる。

あと中高生は金がない。本にかける金がない。


大人になって、読んでおけばよかったーと思っても、中高生の気持ちはこんな感じですよね。

教養…?みたいな感じですわ。


私は毎年、冊子をとりあえずもらって来て眺めて終わってたのですが、

今年は新しい試みとして、冊子のホッチキスを外し全てバラバラにして、読みたいと思った本の部分を切って手帳に貼るということをしてみました。


裏表にあるとこは、また新しい冊子をもらってきて切ります。


さあ、これで効果は出るのか、私は何冊読むのか。



とりあえず最近は、三島由紀夫という人間に興味津々なので『金閣寺』を読みます。



光源氏なら捕まらない

今日はにこにーのお誕生日ですね。


なんだか、最近、アニオタ界隈で波紋を呼んでいる倉敷市の事件。


光源氏計画(紫の上計画)をしようとしていたという見解

の話ですが、情報を操作されているという危機感を持つことは大切だよなーと思う一方で、

私は黒バス事件が出たとき、「私のカミュつけないで」のタイプの方がやったんかなーと思っていたのですが(この事件も嘘だとかそうじゃないとか)、

専門家は中年男性と予想していて「うそうそ〜」と思っていたら本当にそうだったので、専門家すげえ!と思ったものです。



アニオタに対する偏見を助長するとか

昔はラピュタみても云々とか

先々週のある雑誌の児童ポルノの記事とか


難しいなあと思いますが、自分の意見を持つため、偏った意見にならないために、やはりいろいろな考え方を知りたいなあと思いますね。


今週のAERA(キムタクが表紙)の読書の記事が素敵だなあと思ったので、みてみてください。

あ、回し者じゃないです。

目覚め2

夏休みのスーパー。

小中学生がたくさんいる。

今度、注目するのは女の子。




あーら、かわいらしいお召し物。
ヒールのあるサンダル履いちゃってまあ。まあ。
カバンもかわいらしいこと。


対する、わたしはジャージ。
地元だしすっぴんでええやん。
ヒール?腰痛いから無理無理。
指先のネイルは禿げてるけどクロックスならみえないし。




きらきらと着飾る彼女らが眩しいなあと感じる一方で、たかがスーパーでなんでそんな頑張ってんの?となる。



そう、我々にとってはちょいとそこまで、誰かに会うとかじゃないし、会うやつとか昔馴染みだし、の感覚。


しかし、彼女らにとっては違う。

ここは地元でも大きなスーパー。

いつ、どのタイミングで知り合いに会うかもわからん。
もしかしたら、意中の彼に会うかもわからん。


彼女らにとってはお出かけなのです。


だから、一緒にいる家族がださかったりすると恥ずかしくなる。

娘「お父さん、ちゃんとした格好してよ!」

父「なんでだよ、たかがスーパーで。」



ああ、忘れてあげたくないものですね、子供心。